
1976年4月、中国で生まれた。
両親はふたりとも医者だった。当時はよくわかっていなかったが、父は日本人、母は中国人の家庭だった。
医者の家に生まれた、と聞くと、どんなイメージを持つだろう。裕福で、整っていて、将来が約束されている——そういうイメージかもしれない。
でも、子どもの頃の自分には、そんな感覚はなかった。
ただ、両親がいつも忙しかった、という記憶がある。白衣を着て出かけていく朝の背中。夜遅く帰ってくる足音。「お父さんもお母さんも、人を助ける仕事をしている」と、誰かに言われた気がする。でも当時の自分には、それが何を意味するのか、よくわからなかった。
わかっていたのは、自分の家の空気が、近所の家とどこか違うということだけだった。
路地の匂い、漢字の看板、友達の話し声。そういうものが、自分の「普通」だった。日本語という言葉があることは知っていたけれど、それは遠い話だった。自分はここに生きていた。それだけが、確かなことだった。
7歳になる少し前、大人たちが何かを話し合うようになった。
「帰る」という言葉を、何度も聞いた。
帰る? どこへ?
子どもだった自分には、その言葉の重さが理解できなかった。でも大人たちの顔が、いつもと少し違った。
その「帰る」が、自分の世界を変えることになる。